あじと名刺がホストキャバ嬢の34年作り続けてきて今までに役職が上がった人ばかりですが今日は、その中から3人の人の話をしようと思います、ただホームページが一時期亡くなてしまい写真が残ってないのですが、拘った名刺を作れば、話題が広がり売れる男になるので
お話しさせていただきます。
1 上尾の弱々しいホストから社長になった人の話
2 歌舞伎町のTOPDANDYでのサクセスストーリー
3 54歳の私が知り合いということを自慢したくなる歌舞伎町ロマンスの代表から社長になった方
結論 「ばじめまして〇〇です。この名刺〇〇〇〇してるからさわっつてみて」と言ってから名刺を渡すと貴方の印象がアップします。
私は20歳から東京でホストをしていました、それで一緒に働いているホストが名刺屋をやるというので手伝うことになり
それから、ホストをしながら名刺を作ってました。
30歳の時に独立して埼玉県川越に定期借家で家を借りあじと名刺を開業しました、
そのあじと名刺開業当初の話です。
開業したばかりで、お客はいませんので当然営業に行きました。
埼玉県ですからまずは、川越 大宮 所沢などにチラシやサンプル帳を持っていき名刺の注文を取っていました。
当然上尾市にも行きその時はホストクラブは深夜12時から営業が始まっていましたので、上尾のホストクラブに深夜に名刺の注文を取りに行きました。
すると名刺を作りたいときた人が、声が小さく弱々しい人でした。
服装もセンスなく失礼ですが、
この人すぐ辞めるだろうと思ってました。
その人が注文した名刺は、私がおすすめした、厚手の紙に文字を浮き出しラメ印刷した名刺です、100枚16000円しました。
その方は、16000円をすぐ払っていただきました。
名刺のデザインはシンプルでかっこいい名刺です。
1ヶ月後、またその方から連絡があり深夜お店にお伺いしました、再注文だそうです。
私は、あまりにも名刺を配るペースが早いので、聞いてみました。
「どうてそんなに名刺を配るのが早いんですか?」
「渡すときにもこもこしてる名刺触ってみてって言って渡しルンですよ、そうすると最初の会話がらスムーズに話せるんです」
と行っていました。
それから月一ペースで注文が来るようになり、お店も上尾から大宮に移転して、二号店もでき、その方のは飲食店を他にも持っていると聞きました。
あの時弱々しそうな方が大宮に移転したときは社長の肩書きで名刺を作り、ホスト以外にも飲食店を経営していると聞きました。